Gesualdo: I Tormenti d’Amore – Anthology of madrigals

2014.07.08 | renaissance |

Gesualdo

Gesualdo: I Tormenti d’Amore – Anthology of madrigals
Claritas
(Et’cetera: KTC1215)

「曲が先か、詞が先か」

シンガーソングライターがもてはやされていた時代に、こんなことが話題になっていた。彼らの曲の書き方は、メロディーを先に作って後から歌詞を当てはめる「曲先」と、歌詞を先に書いて後からメロディーを当てはめる「詞先」の2通りに分かれる。メロディーと歌詞が同時に湧いてくる人もいたかもしれないけど、とりあえず黙殺されたらしい。「曲先」の人はメロディーに魅力があり「詞先」の人は歌詞に味わいがあるという話。このイメージは反証がいくらでも挙げられそうだけど、「曲先」の方がいかにもカッコよく見えた。

フェラーラに憧れて、そこを出発点として人文主義の流れに乗りながらマドリガーレを書いていたジェズアルドは、創作活動が進むにつれて、読み人知らずの詩を選ぶことが多くなった。彼が選んだ詩は、読む人が読むとイマイチらしい。自分の芸風に合うかどうかが基準で、詩そのものには興味がなかったということか。

自分で詩を書いたという話もある。突き詰めていくと自分で書くことになるのかもしれない。シンガーソングライター・ジェズアルドの誕生だ。自分で書いたと仮定して、彼に冒頭の問いかけをしてみたい。

詩の表現を深めるために曲があるのではなく、曲に奉仕するために詩がある。よく整頓された旋律や和声が前面に立ち、語り口の巧拙は後方に退く。ルネサンス音楽がそのように扱われる例は少ない。聖歌に材を採った曲には尊重されるべき固有の語り口が残る。マドリガーレも一般的にはイタリア詩固有のリズムが支配する側面がある。

整頓された旋律や和声が前面に立つならオールラウンドな合唱団にもチャンスがあるが、成功例が見当たらない。クラリタスのやや古い録音を取り出してみる。各パートに2人を配置する彼らの演奏は古楽系グループの範疇を外れないけど、想像してみよう。

Baci soavi e cari (Book 1)
Io Parto (Book 6)
Io tacerò (Book 4)
Tersi morir volea (Book 1)
Ecco, morirò dunque (Book 4)
Caro amoroso nèo (Book 2)
Candido e verde fiore (Book 6)
Luci serene e chiare (Book 4)
Languisco e moro! (Book 3)
Mille volte il di moro (Book 6)
Ardita zanzaretta (Book 6)
Sento che nel partire (Book 2)
Deh, se gia fu crudele (Book 3)
Se la mia morte brami (Book 6)
Beltà, poi che t’assenti (Book 6)
Tu piangi (Book. 6)
Madonna, io ben vorrei (Book 1)
Quando ridente è bella (Book 6)

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